腎虚
江戸時代といえば、元禄文化と化政文化が知られていますが、化政文化の雰囲気を知りたくて、NHKの大河ドラマ『べらぼう』を見ています。先日、そこに「腎虚」という言葉が出てきました。「腎虚」というのは、東洋医学で使う言葉ですが、簡単に言うと、「腎が弱っている」ということなのです。俗には精力減退、もう少しわかりやすくいうと、インポテンツの意味で使われます。ドラマでもその意味で使われていました。この俗説の「腎虚」という言葉の使い方は、私がしばしば診療で患者さんに説明するとき「腎が弱っています」、「腎虚に近い状態です」のような説明に、誤解が生じる危険があり困るのです。私が言う場合は、精力減退などではなく、東洋医学でいう「腎」の機能が低下しているという意味で使っているのです。しかし、大河ドラマを見た人に誤解されないか心配です。
東洋医学でいう「腎」というのは、西洋医学でいう「腎臓」とは違うもので、内分泌機能、泌尿生殖機能、中枢神経系の一部、免疫機能などをいいます。「腎の機能が低下している」あるいは「腎虚」とはこれらの機能が弱ってきているという意味なのです。精力もこの中に入りますが、一部の機能です。腎が衰えると、聴力が低下、排尿異常、生殖能力の低下、白髪や脱毛などの毛髪異常、骨が弱くなるなどの症状が出やすくなるということです。
ついでに言うと、西洋医学でいう腎臓と東洋医学でいう腎臓が混同されていますが、これは杉田玄白らがオランダの解剖医学書『ターヘル・アナトミア』を訳して『解体新書』あらわした時(ちょうどべらぼうと同じ文化文政の時代)から始まっているのだと思います。オランダ語から日本語に訳すとき、オランダ語で腎臓のことをなんていうか知りませんが、それを東洋医学の腎臓に似ていたので「腎臓」と訳したのです。このため東洋医学の腎臓と西洋医学の腎臓は別物なのに、同じ名前になってしまいました。杉田玄白らも、こんな混乱が起きるとは思ってもいなかったでしょうが。ちなみに、「神経」という語は『解体新書』で作られた訳語で、これ以前の時代には「神経」という言葉はなかったのです。漢字を使う国ではみなこの訳、「神経」が使われているところをみると、これは名訳なのではないかと思います。
話がそれましたが、俗な言葉としての「腎虚」は私が使うことはまずありませんので、誤解なきよう。